漫画のメモ帳

早口で漫画について話すブログ

死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々/阿部共実(1~2巻【以下続刊】) 特に2巻「8304」と「7759」について②

死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくな 2 (少年チャンピオン・コミックス・タップ!)

阿部共実「7759」について。前半(主に8304について)はこちら↓

死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々/阿部共実(1~2巻【以下続刊】) 特に2巻「8304」と「7759」について①

---- 

②7759について

死と美しさに惹かれる男女、そしてちょっとミステリー

こちらは「死」という要素に、そこに至るまでの幸せや美しい景色が重ねられて、8304とは別の儚さと暗さがある。本当に作品ごとのカラーの豊かさに感動する。

橘くんの20歳の誕生日。千夏先輩は、彼をバイトに送り出したのち、バタリと倒れて死んでしまう。帰宅し、それを見つけた橘くん。彼女を腕に抱きながら、今まで言えなかった思いを告げ、そして彼も倒れ死んでしまう…。主人公の橘くんと千夏の二人が死んだことは明らかなんだけど、その死因については不明瞭で、いくつもの解釈ができる。例えば以下。

・橘くんがゼリーに毒を盛って千夏を殺す。そして自身も後追い自殺

・千夏が薬で服毒自殺、誕生日ケーキにも毒を盛って橘くんを巻き込んで心中。

・お互いに、橘くんはゼリーで千夏を、千夏はケーキで橘くんを殺害。

・ヒーター等による中毒死…千夏は事故死、橘くんは後追い。…etc

で、私はこれは「ヒーター等による中毒死」だと思う。

千夏の愛でる美しさ

橘くんの独白が多いので、橘くん視点のお話っぽいのだけれど、この作品の中で彩り豊かな「美しいもの」を語っている主人公格は千夏だ。

彼女が倒れてから度々挟み込まれる「私は考える」という言葉。一人称から、これは千夏のセリフであることが分かる(フォントも変えられている)。で、この千夏が「考える」内容は、徐々に現在から過去の出来事に遡っていって、最後は彼女の赤ん坊時代にまで至る。

千夏は、自身で語るように、美しいものと出会うことを生きる喜びとし、自分の好きなことだけをしたいと思っていた。そんな彼女は、橘くんの買ってきてくれたゼリーを「眠る色をしたききょう色したグレープゼリー」と美しく形容し、それを口にしながら言う。「今がいちばん楽しいよ」。地味な今の生活が…橘くんとの二人くらしが一番だというのだ。

千夏を成す断片は、この橘くんとの暮らした部屋に満ち満ちていた。「私は考える」というセリフの吹き出しは、千夏自身からではなく、この小さな部屋の天上や、照明や、テレビや、床や、窓から出ている。幼少時代、彼女が美しいと思った「雨の音 小学生の吹くハーモニカ…」等のキラキラしたものと同等に、橘くんとの地味な生活の一つ一つを愛で、彼女の生きる糧としているよう。

f:id:harubara:20151209232032p:plain

阿部共実.死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々.2巻.第20話「7759」p122より.:そこかしこに散らばる「私は考える」と、そこから始まる橘君との思い出。千夏を作る大切な要素たち。

橘くんの夢

そして、この千夏の描写と重ねて描かれる橘くんの独白。彼は、死んでしまった千夏を抱え見つめながら言う。「僕は人形のような人が好きだったんですよ 今目の前にあるものが僕の夢です」…ちょっとヤバい感じ。

彼は、自身の夢について他にもこう語っている。「自分の部屋でネットで夢を見てました 先輩の同棲相手はしがないただの異常者です」「みんな好きなことを夢見ることが許されるのに 僕は一生夢見ることも口にすることも許されない」「みんなと肩を並べて夢を話せば 悪魔の化身のように嫌われる」

夢=人形のような人=死体ということで、彼はおそらく死体、もしくは死体のような人形が好きだったのだと思う。生きている人間に興味が持てず、人に言えないような嗜好がある自分を、人間ではない欠陥品だと思っている。

しかし、そんな彼の目の前に先輩が現れた。彼女は言う「美しいものは好き 黙っているのに美しいもの ~略~ 人間には美しいと感じられる心がある」…先輩は、この発言により意図せずも橘くんの「(死体or人形を)美しい」と思う心を肯定し、それを持つ彼を人間として肯定した。そして、何かを美しいと思うことで価値観を共にする二人は親密になった。

橘くんの独白は続き、彼はついに自身の夢についてこう言う。「先輩の楽しげな声が好きだった 先輩の悲しそうな顔が好きだった~略~ 僕の見るすべての景色が変わった もう夢なんかどうでもいい」彼は、生きている先輩のことが大好きだった。唯一美しいと思えた死体や人形なんてものがどうでもよくなるくらいに。

f:id:harubara:20151209232325p:plain

阿部共実.死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々.2巻.第20話「7759」p135より.:千夏の「美しいもの」の回想と重ねて語られる、橘君の好きな先輩についての言葉。もう、美しくて切なくてたまらない。ちなみにケーキに紫の人形を用意するあたり、橘くんは隠してたけれども、千夏は何となく橘君の嗜好の対象が「死体・人形」であることも、どこかの時点でうっすら察してる可能性があるようにも思える。千夏的には紫=眠りだし、血色の悪い人間っぽさもある。対はオレンジ。生と死が同居した表紙の瞳。

死因

千夏は、少なくとも橘くんが驚くのを楽しみに、ケーキや二人で飲むためのワイン&2つのグラスを用意していた。橘くんだって、楽しげな声をあげたり、悲しそうな顔をしたり、すねた背中を見せる「生きた先輩」が好きで、彼女のためになりたいと言っている。多分、二人とも多少厭世的でありこそすれ、自ら死ぬ気も相手を殺す気もなかったと私は解釈する。

もし、何らかの毒が死因であるとした説をとると、二人が口にしたものとして、千夏は薬or橘くんのゼリーが、橘くんは千夏の作ったケーキが原因として考えられる。しかし、これだと少なくとも千夏は橘くんを殺そうとしていたことになるのだが、語りや行動をみても、千夏が橘くんを殺す選択をする理由があるようにはあまり思えない。

それよりは「換気扇も給湯器も窓の建てつけさえも全て調子が悪い」「ネットオークションでガスヒーターはボロをつかまされるし」「寒い 冷たい 頭痛い」…といったように、部屋のヒーターや給湯器等のガス周りの調子が悪く、窓や換気扇による空気の入れ替えもままならないことがあらかじめ丁寧に説明されていたことから、これらによる事故死と考える方が自然な気がする。

 千夏は死ぬつもりはなかった、橘くんは千夏が死んで図らずも「夢」がかなってしまったけど

もし千夏が事故死だとすると、死んだ先輩を前にしてもなお、いつも通り冷静な橘くんの様子が普通の反応ではないように見える。

しかし、死体が目の前にある状況は彼にとっては恐れるべき状況ではないのだ。彼は、死体に対して普通の反応はしない。むしろ好ましく思ってしまう気持ちがある。だから彼は言う「今目の前にあるものが僕の夢です」。彼の心は、これまでどうしようもなく憧れていた人形のような死体の出現に少なからず喜んでいる。

一方で、彼は、生きている先輩が好きになってしまっていた。「何か先輩のためになりたかった その先輩がいないと意味がない」の言葉の通り、千夏が死んでしまったことは受け入れられない。それこそ生きる意味を失うほど。

そして最後は、この状況に対して「めいっぱいはちきれそうなくらい幸せを感じているというのに」というセリフを残して死ぬ。夢が叶った喜びと、自分がやはり異常であることに対する自己嫌悪を抱えながら。そして何より大事だった生きる意味を失ったがために、周りに迷惑をかけることを悔みつつも、先輩とともに美しい死体になることを選んだんじゃないかな。親への謝罪からのくだりは、そういう気持ちの表れだと思う。

「本当にいいんでしょうか こんな僕に大きな幸運が落っこちてきて」というセリフは、図らずも先輩と出会えた喜びと、図らずも先輩の死体を抱けた喜び、そして、図らずも愛しい先輩と共に自身も美しいものになれるチャンスを得たことの喜びを指しているように思うのだ。

人生の意味

橘くんは20歳で、先輩はその1歳上であることが明らかにされている。そして彼女は、作品の中でその人生を走馬燈のように振り返っている。7759とは、彼女の生きた日数、振り返った過去の日々を表した数字じゃないかな。

人生のなかで彼女が美しいと愛でたもの=生きる理由達の振り返り。そして、それら美しいものの多くを彼女に与えた橘くん。「美しいもの」という軸で繋がった二人は、どこか浮世離れして、不思議で、少し狂気じみていていた。そして、二人の繋がりは、死んでも尚途切れないほど強くて美しかった。

(ちなみに、7759日は歳にすると21歳と3ヶ月くらい。作中の「秋の終わり」と「金木犀」という言葉を頼りに、橘くんの誕生日を10月中旬くらいとすると、先輩の誕生日はおおよそその3ヶ月前で7月中旬。「千夏」の名のとおり夏生まれとなるかな。)

---

蛇足:

f:id:harubara:20151209233733p:plainf:id:harubara:20151210000354p:plain

阿部共実.死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々.2巻.第18話「8304」扉、第20話「7759」より.:

 8304と、7759、タイトルの書き方もちょっと変えてきているんですよね。「手に取ったペンが違った」くらいかなとも思ったのですが、筆跡も少し変えてきているような感じも…。8304はけんちゃん、7759は先輩の字なんじゃないかなぁと勘ぐる。

----

8304と7759の双方とも、その主人公たちの言葉選びも相まって、今までの作品になかったようなキラキラした美しさがある。そして、それがうまくいかない苦しさや、狂気や、青春の儚さのようなものを、強力に浮かび上がらせている。色々と解釈もしたけれど、そんな深読みなんて野暮に感じられるくらい、一読しただけで強烈な印象を残す作品たち。特に、8304のラストは本当に綺麗。2015年ベスト短編かも。次回作も楽しみ。

 

 -----

 

他作品の記事リストはこちら

死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々/阿部共実(1~2巻【以下続刊】) 特に2巻「8304」と「7759」について①

死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくな 2 (少年チャンピオン・コミックス・タップ!)

特に2巻の「8304」と「7759」と冠された短編について、感想と内容・タイトルの意味について解釈を。ざっくり「8304」についてと「7759」についてで記事分けます。7759はこちら。

---

阿部共実の最新作。私は「空が灰色だから」「ちーちゃんはちょっと足りない」が大好き。この人の描く青春時代の青い失敗、気まずさ、不気味さ、不遇、狂気、絶望は極上。ただ、この「死にたくなる~」の1巻は、そういったダウナーな要素は小さめだった。「死にたくなる」なんて最大に鬱々とした言葉が冠されている割には、「空が~~」等の既存作品にくらべてそのインパクトが小さくなった。それはそれでもとても面白かったのだけれど、やっぱり心えぐる内容を私は期待してしまう。

で、最新の2巻。すごい。心を金属バットでフルスイングされたような短編が二つ。単に鬱々として苦しいだけでなく、色鮮やかさと輝きが加わって、綺麗。正直、もう既存作品を超える衝撃は無いのかなぁと思っていたのですが、また新たな方向からガツンとやられた感じ。「空が~」の後の「ちーちゃん~」ときて、この「8304」と「7759」。この作者はどこまで行くのだろう。

---

 「8304」と「7759」のタイトルについて

作品を読んでその内容に打ちのめされるのと同時に、このタイトルの意味と、何でこの2作品が連作のようにされているのか気になってしまう。あまり意味を無理くり解釈するのもナンセンス…と思いつつも色々考える。

理由は後述するが、私は「8304」「7759」の数字は、それぞれの語り手が、その過去を振り返った時点までの「生きた日数」を表しているのではないかと思う。具体的に言うと、「8304」なら8304÷365日で22歳とちょっとのけんちゃんが、「7759」なら7759÷365日で21歳とちょっとの千夏が、それまで生きてきた中での鮮やかな心象風景や、彼らを成す要素たちを振り返っているのではないかな。

(もし答えが明らかになってたら誰か教えてください…はずかしいので…)

---

①8304について

持つものと持たざる者…それでもきらめく景色

けんちゃんと松田、二人の中1男子の物語。環境に恵まれない主人公と、恵まれている友人という構図で、「ちーちゃんはちょっとたりない」とちょっと似ている。ただ、「ちーちゃん」では、恵まれない者は徹底的に恵まれない者として描かれていて、そのどうしようもない息苦しさが魅力であったのだが、本作は少しそれとは趣向が異なる。

持たざる者側のけんちゃんには、品性や繊細で豊かな感性が備わっている。持つ者側の松田にも、恵まれていながらうまく振る舞えない苦しさがある。そして、隔たりがありつつも二人がある瞬間は確かに心通わしていたことが描かれている。これらが、作品を切なくて泣きそうなほど綺麗に見せているのだ。

けんちゃんの心象と言葉、ブロックと雨粒

「この灰色の町が青白く染まる」「墨を混ぜたような雨が強くふる」…作中では、その景色やアイテムについて、このような詩的な描写がなされている。これらはみんなけんちゃんの言葉。けんちゃんは、繊細な感性と、豊かな表現力を持ち合わせている。二人のやりとりの間に挟み込まれるこの言葉たちと画面が本当に綺麗。

そして後でわかるのだが、これらの言葉は、正確にはこの「中1のけんちゃん」だけのものではない。未来のけんちゃんが、過去を振り返って、当時に感じた一つ一つの風景を、心の中で再び呼び起こしているのだ。現在過去入り混じる「心象」と、現実の風景とが入り混じった作りになっている。

f:id:harubara:20151209230817p:plain

阿部共実.死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々.2巻.第18話「8304」p73より.:けんちゃんの詳細な風景描写の言葉。「ぼくらは」ではなく「ふたりは」灰色の~~と俯瞰した語り。

そして、現実世界のモノではない、何か四角いブロックの世界の描写。これが流石阿部共実といった感じで、不気味さやドラマの劇的さを煽ってくる。人物がしゃべる言葉の吹き出しは、普通、人物に添えられている。が、物語が進みけんちゃんの想いの言葉があふれるにつれ、あたかもこのブロックや、まわりの風景や雨粒達がしゃべっているかのような演出がされる。うまく説明はできないのだけれど、このブロックや、風景、雨粒の一つ一つが、けんちゃんの心象や気持ち一つ一つのよすがのようなのだ。

f:id:harubara:20151209230927p:plain

阿部共実.死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々.2巻.第18話「8304」p83より.:電線が、雨粒が、四角い箱が、けんちゃんの心象や気持ちを述べる。独特の世界。

そしてこれらの心象は、すべて松田への想いに繋がる。何も持たない、親にも恵まれず、他に友達もいない中一のけんちゃんにとっては、松田が唯一無二の存在であった。綺麗な思いも、強い劣等感も、全て松田と自分だけの世界を映しだす。未熟な少年らしい狭い世界と切実な青い想いだと思う。

激しい気持ちをぶつけたけんちゃん。松田は、彼を拒絶しない…松田は松田で抱いていた自らの劣等感を吐露する。しかし、彼は、けんちゃんが大好きな本を好きになることができない。そして、二人は手を放す。

「本を返す約束をしよう」「夏にも冬にも遊びに行こう」という呼びかけに返事はなく、全ての答えは雨は上がりの光に押し流されてしまったように、滴を散らしながら二人は笑顔でかけていく。積もった気持ちがキラキラと昇華したよう。明確な救済はない。けれど、本当に美しい。 

最後の言葉は悲しい

ラストの「この本を読むたびにこれだ」「今となればどうでもいいささいな思い出だ」というセリフで、これらの景色を過去として振り返っている存在がいることがわかる。松田かけんちゃんかの二択だけど、まぁけんちゃんと考えるのが自然だろう。情景を宝石のように描写できるのは、松田ではなくけんちゃんのほうなのだ。

そして、この語りの主がけんちゃんだとすると、けんちゃんは未だ松田の本を持っていることになる。二人はこの日を最後に会うことはなかったのかもしれない。

けんちゃんはこれらの思い出を「つまらない」「些細」と言い捨ててしまっている。劣等感を抱いていた過去を気にしなくなるほど強くなったのかもしれない。恵まれない環境を受け入れ、慣れきってスレてしまったのかもしれない。何にせよ、この思い出を切り捨てるセリフを吐いてしまうのは、現実的かもしれないけれど、悲しい。

しかし一方で、彼は本を読むたびにこの時のことを思い出すという。些細といいつつ、忘れることができない。鮮烈に思い出す。苦いのに綺麗な、青春の物語。

蛇足:●5/06/18 13:45

はたしてこの「過去」が何年前のことなのか、いつからの振り返りなのかは判然としない。まぁ、それはあまり重要な部分ではないが…気になったのでちょっと。蛇足。

手掛かりとなるのが松田の携帯。彼の受信したメールの日付は「●5/06/18 13:45」とある。●は、水滴がかかって読み取れない。で、彼の使っているケータイってガラゲーなんですよね。2015年現在の私立中学生に、裕福でハイソな家庭の親が今どきガラゲーを買い与えるかなぁ。松田の友達もわざわざ「メール」をしてきているし。この作者、現代の学生には普通にスマホ持たせてるし、LINEやSMSも使わせているんですよね。けんちゃんも、ケータイを「ご大層な」と形容している。なのでこれは、2015や2025ではなく、2005の話なんでないか。

そしてタイトルの8304。…後述の「7759」がヒロインの21歳の人生を意味すると思ったので、こちらも年齢に直してみたところ22歳。もし、この当時が05年だとすると、彼らはこの時点で中1ということで彼らは満12歳ちょい。そして2015年を現在とすると、彼らは22歳ちょいになっていて8304日という日数と齟齬は無い。22歳の現在のけんちゃんが、10年前を振り返っているんじゃないかな。

f:id:harubara:20151209231436j:plain

阿部共実.死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々.2巻.第18話「8304」p78より.:携帯の画面。懐かしのガラケー。一村高くんからのメール。内容は「エロ本貸して」笑

---

長いのでいったん分けます。次は7759について。こちら↓

死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々/阿部共実(1~2巻【以下続刊】) 特に2巻「8304」と「7759」について②

 

 -----

 

他作品の記事リストはこちら

 

新たに読んだ漫画買った漫画【2015年10月】

よかった順にざっくり並べて。作品名/読んだ巻数/(レーベル)/作者


【完結】

 

【単巻】

 

【続刊アリ】

 

【雑誌、他】

 

【続刊アリ…でもひとまずココまで】

  • その「おこだわり」、俺にもくれよ!!/1/ (モーニングコミックス)/清野とおる
  • 電撃デイジー/1~10/最富キョウスケ
  • 天そぞろ/1/(ビッグコミックス)/あかほり悟, 北崎拓
  • ハード・コア/上/(ビームコミックス)/狩撫 麻礼, いましろ たかし
  • ハナヨメ未満/1~2/(プチキス) (Kissコミックス)/ウラモトユウコ

 -----

他作品の記事リストはこちら

花とアリス殺人事件(単巻【完結】)/道満晴明(原作:岩井俊二) 作者と出版社にも良心があった!!ナイスバランスなコミカライズ

花とアリス殺人事件 (ビッグコミックス)

漫画を読んでいると、台詞回しや演出に「すごい!」と拍手したくなるシーンに出逢うことがあるのだけれど、道満作品ではそれが連発されている。もう、この方は普段どんなことを考えて生きているのだろうと感心するくらい、下品で軽薄で機知に富んだ言葉選びと力の抜けたテンション。絵はしゅっとしていてスタイリッシュ。

f:id:harubara:20151103223820p:plain

道満晴明.ぱら★いぞ.1巻第9話より:もう何も言うまい…これでも全然上品。

----

今回読んだのは「花とアリス殺人事件」。岩井俊二の実写映画作品「花とアリス」の前綺譚であるアニメ映画「花とアリス殺人事件」のコミカライズ。

花とアリスは実写もアニメも大好き。透明感があって、常に薄い光に包まれているような雰囲気。女子高生の恋と友情。初冬の空気、夜明けの街。心の機微とその風景がとても綺麗。ストリングスの凛として伸びやかな音楽も作品にすごく合ってる。主演は実写もアニメ版も鈴木杏蒼井優

こんな清らかで透き通った世界が、コミカライズされたというのでさっそく飛びつく。おおっ、だれが描くのかなと思ったら、まさかの道満晴明。えっマジかよ。大丈夫?

 

アニメ「花とアリス殺人事件」

親の離婚で石ノ森学園中学に転校してきた有栖川徹子。彼女が所属することになった3年2組では、一年前に殺人事件があったという…被害者は「ユダ」、そして容疑者は「4人のユダ」。有栖は、たまたま座った席がかつての「ユダ」の席だったことから、図らずもこの事件に振り回され、真相について調べる羽目に。やがて彼女は、殺人事件以来不登校になってしまった荒井花という女子生徒の存在にたどり着く。花曰く「ユダは生きている かもしれない」。そして、有栖と花はユダの生死を確かめる旅に出る…

 「殺人事件」と冠してあるものの、内容はほのぼの。青春の日常と、そこに紛れ込むちょっと非日常的な呪いや噂と秘密。トラブルメーカーの花・巻き込まれ体質の有栖にの二人によって、コロコロ話が転がっていく。全編ロトスコープで描かれていて、実写の岩井映画の雰囲気がそのままある。

hana-alice.jp

私が特にいいなぁと思ったのは、有栖が見知らぬおじいさんと長い散歩をするシークエンス。間抜けな出会いと不思議なテンポの会話。やがてじんわりと表れるおじいさんと有栖の優しさ。いつもの日常とはちょっと違う状況での穏やかなふれあい。素敵。

オカルト要素と不思議なキャラ達と軽妙なギャグ

 で、漫画版。「おじいさんと女子中学生がお散歩」なんて、下ネタをブチ込む余地ありまくりだなぁとか思っていたのですが…。下ネタはほぼほぼ無かった。そして読後感が岩井映画のそれと同じくらい爽やかだった。

アニメをそのままコミカライズしたのではなく、描き手の解釈の元ストーリーが改変されている。最も大きな違いは、アリスと花が「ユダ」を探す旅には出ないこと(なのでおじいさんとの散歩のシーン等もない)。映画ではさらっと触れるだけだった、殺人事件容疑者の「四人のユダ」の謎に迫ることで、事件の真実にたどり着く構成になっている。

こうした学園の呪いや謎解きオカルトな要素って、すごく作者の作風に合っていると思う。かなり非日常的なことが起きているのにさらっと流しちゃったり、トリッキーなキャラがたくさん登場したり。あれよあれよと場面が変わる感じもアニメ版に近いと思った。うまいこと著者の得意とする要素を強調して再構成されてる感じ。

f:id:harubara:20151103225313j:plain

漫画:道満晴明.原作:岩井俊二.花とアリス殺人事件.第6話より:「4人のユダ」に会いに、奇術部へ来る話。下半身だけ歩いてるって…部活のレベルじゃないぞ。しかも漏らしてるし。こういうの、すっごい道満っぽい。

青春な友情モノもイケるのか

読んでいる最中はアニメとは別物になったなぁという印象だったけど、ラストは存外に爽やかで「花とアリス」らしい雰囲気があった。花の青い悩みと、それを救うアリスとの友情といった、ストーリーの肝となる部分がしっかりそのまま残っていた。というか、アリスが花に手を差し伸べる様子がけっこうストレートに描かれていて少し驚いた。今まで、この作者の作品であまり見なかった感じ。素直な友情展開、素敵。

f:id:harubara:20151103225649j:plain

漫画:道満晴明.原作:岩井俊二.花とアリス殺人事件.第5話より:花の懐に飛び込むアリス。特に花の表情とかが鈴木杏そっくり。アリスがよんでいる漫画のレーベルが「花とアレ」だったり、色々と小ネタもたくさん。

----

もう、本当下ネタだらけだったらどうしよう…とか思って手に取った漫画だったけど、思いのほか青春しててよかった~。ほのぼのとした中に、作者独特のギャグや非日常感がちょいちょい顔をだしててイイ感じ。花とアリスも、道満晴明も好きな私にとっては大変満足なコミカライズでした。

 -----

 

他作品の記事リストはこちら

ちひろ/安田弘之(上下巻【完結】) 何者になるのかは自分が決める、孤高の美しい人

ちひろ 上

 主人公は「ちひろ」という源氏名の風俗嬢。清楚な地味系の佇まいながら、ファッションヘルス「ぷちブル」のNo.1。飄々としていて、自由。天然っぽいかわいさもある。そして、少しの狂気を感じる。そんな彼女と、それを取り巻く人々の日々を描いた作品。

魅力は、奔放なちひろのかっこよさ。壊れているともいえるような複雑な心の内。自由で浮世離れした彼女と、それに対比される俗世の人々の生き方。

 誰かから愛される、社会から認められる…そんな他者からの承認を得るためのレースから、彼女は降りている。自分が認めた自分になる、その有様はとても美しい。一方で、他者との関わりの中で得られる幸せがあることもよく知っている。矛盾したような生き方を続ける彼女はどこへたどり着くのだろう。

-----

上巻のラストで、ちひろは自発的にぷちブルをやめる。店長の「金と設備それ以外でウチよりいい店はない」という言葉の通り、その労働環境は良好。スタッフ同士の人間関係も円滑で、お客さんも良い人が多い。そんな場所をちひろは自ら手放す。

普通の人は、手に入れた幸せな場所を手放さないで大切に抱え込む。でもちひろは大切なものだからこそ、それを捨ててしまうようだ。

「 風俗嬢である」ことが全て

ちひろはもともと普通のOL、吉澤綾だった。愛想笑いをし、セクハラに耐え、陰口に泣く。世間に馴染むため、社会で居場所をつくるため、親の前ですら無理をしていた。

その後、「風俗嬢ちひろ」となった彼女。「吉澤綾」を手放した彼女は、もはや吉澤綾の居場所をつくるために、自分を殺す必要はなくなった。彼女は本来の自分であることを辞め、社会や世間といったものから離れることで、より自由に自分らしく振る舞える場所を手に入れた。

ちひろは、風俗嬢である。それ以外の何者でもない。出身や、親兄弟、友人、形成された価値観…そういった社会との関わりや背景は、すべて綾の方に置いてきた。ちひろのアイデンティティーは、風俗嬢であるということだけ。

だから、ちひろにとっては「風俗嬢であることを実現すること」こそが、風俗嬢をする目的。金や、プライドや、心の安寧のためにではない。だから、例えば同僚の風俗嬢達が、嫉妬心を燃やして男を取り合ったとしても、ちひろはそこに積極的には参加しない。「人」である他の風俗嬢や客は心で動くけれど、「風俗嬢ちひろ」は心で動かない。どんな客相手でも、決して風俗嬢以外の自分を見せることはない。この上ないプロとして振る舞えるのだ。

f:id:harubara:20151018194446p:plain

安田弘之.ちひろ.上巻第2話「枯れない花」より.:大谷さん(客)の心は花咲けば枯れることもあるけれど、ちひろはちがう。「風俗嬢である」ほかの何物でもない。いつでも咲いているように見せることができる。

幸せのために幸せと距離を取る 

普通の人が持つような周囲との関係性を捨てた彼女は、それはそれは自由で飄々として魅力的だった。それ故に、彼女は彼女の予想以上に周囲に受け入れられることとなる。そして、ぷちブルは「ただ風俗嬢としてのちひろを実現する」ことを超えて、いつか捨ててきた周囲との関係性や、そこで生じる心の動きを与えるような、あたたかな場所になってしまった。

「風俗嬢ちひろ」に徹して生きているからといって、当然、彼女に心がなくなったわけではない。彼女には、ぷちブルにいる自分の状況を幸せに思う気持ちがある。そして、それを失くした時のことを想像して、喜ぶ。「失くしたことで心痛める自分」に喜んでいるのだ。痛める心があること、手放すのが惜しくてしょうがなるほどの大切なものを手に入れたことが、たまらなく嬉しい。

手に入れたものを手放すことで、自分が大切なものを手に入れられたことを確認して喜ぶ。そして、そのようにして何かを得ることができる自由な「ちひろ」であり続けるために、「ちひろ」をこえて「自分」に何かを与えてくれる場所を、切り離さなければいけなかった。

f:id:harubara:20151018195229p:plain

安田弘之.ちひろ.上巻第8話「Gotta Get Away」より.:「幸せな時に限って思いつく 困った悪戯」「大切なものを失くす痛みで 私の心は息を吹き返す」。ちひろは泣いている。自分を傷つける矛盾したかのような決断をするちひろの姿と、満開の桜の風景。綺麗で切なく、少し恐ろしい。

何者になるかは自分が決める、そしていつか本物になる

  ちひろはかっこいい。普通の人ができないことをやる。自由で、堂々としている。「ちひろ」という偽の姿で進み続けることで、吉澤綾が成しえなかった「自分らしい生き方」を手に入れることができる。こうなると、もう綾とちひろのどちらが本当の自分なのかなんてわからない。そして彼女は「ちひろ」である方を選んだ。

この「ちひろ」の続編の「ちひろさん」では、彼女は風俗嬢をやめて弁当屋として働いている。「ちひろ」の連載は2001年、「ちひろさん」は2014年。10年以上の時を超えてきたわけだけれど、その姿は相変わらず飄々としていてホッとする。

そして彼女は、風俗嬢であったことも特に隠さず周囲に語っている。「○○出身です」というのと同じノリで、「風俗嬢でした」と告げる。吉澤綾であることは捨てた彼女。でも、「風俗嬢ちひろ」は、彼女にとって肯定されたバックグラウンドとなった。ちひろは、ちひろとしての人生を歩み続けている。

f:id:harubara:20151018200121p:plain

安田弘之.ちひろ.下巻第13話「千尋の海」より.:「こうやってドーナツの中を泳いでいれば 海を手に入れることができるんだなぁって」「永久に前に進み続けて 結局どこへもたどりつかないで死んでいくなんて ただのアホですよね アホはいいですよ アホは」嘘の海の中でいきいきと泳ぐ色々な種類の魚を、客の男や風俗嬢と重ねる描写。すごい。この13話はこのページの他もずっと黒塗りの背景。水族館の窓のよう。

 -----

軽妙なギャグがベースとなって話が進むなか、ちひろの核心を描いた象徴的なセリフやモチーフが差し込まれる。風景や心象の描写は、綺麗でどこか暗い。笑えるギャグシーンも多いのに、読後は静かな余韻が残る。

自分らしくあること、他者から認められること…そんな命題に対して一つの答えを選んだちひろ。飄々としていつでも自分らしくあれる彼女の在り方は、憧れる気持ちもありつつ簡単にはまねできないと思う。人々がしがみついているモノを必要としない、世の中の色々な「こうあるべき」を拒絶した人。孤高のヒーローのようでもあり、その強さはある意味壊れているようでもある。美しく、恐ろしい女性。

 

 -----

他作品の記事リストはこちら

ぷらせぼくらぶ/奥田亜紀子(単巻【完結】) 繊細で鮮やかなきらめきと残酷なキャラ設定

ぷらせぼくらぶ (IKKI COMIX)

すぐ隣の、「あの子」の世界は「あっち」側。 自分のしらないみんなのじかん。できごと。 岡ちゃんは思う。「私と違ってみんなは色んな場所に行けるんだ」

奥田亜紀子.ぷらせぼくらぶ.その4「さざなみ先輩」より.

学校というコミュニティの中には明らかに「階層」がある。容姿が良くてイケイケの人。デビューに成功した人。派手さはないけどそれなりに馴染む人。自分の世界にこもる人。冴えない人。いじられる人。いじめられる人。この作品は、主にその階層の「下の方」の人々をメインに、日々の様子と揺れる心情を描いたもの。

内面の描写が劇的

学校の中ではモブキャラ扱いの彼らでも、当然、その内側には色々な気持ちを秘めている。不格好ながら少女漫画のような「運命」を信じていたり、自分のおかれている境遇にうんざりしていたり…そして、その心情の描き方がとてもきれい。通常は学校生活の様子が至って現実的に描写されているのだけれど、人物の気持ちにグッと近づいたとき、比喩的抽象的なコマがバンと差し込まれる。学校の中での立ち位置は冴えないものであっても、その内面は彩豊かなのだ。この心情の描き方がこの漫画の魅力の一つ。

f:id:harubara:20151011012038p:plain

奥田亜紀子.ぷらせぼくらぶ.その3「放課後の友達」より.:イケてない武庫川は、イケてるヤツらに都合のいいように扱われる。笑って流すが、内面は静かに自分を殺して静かに絶望。息をのむような劇的で的確な描写…

これでもかと描かれる「隔たり」

この作品のメインの主人公は女子中学生の「岡ちゃん」。容姿も悪く、空気も読めず、冴えない。でもぼっちというわけではなく、田山という友人がいる。そして、残酷なのがこの田山が岡ちゃんより少し上の存在であること。田山も冴えないタイプなのだけれど、次第に岡ちゃんとの差が明らかになっていく。田山には岡ちゃん以外の友達もいる、クラスの男子とも話せる、冴えないながらも彼氏ができる。そして、摩擦や消耗は、異なる階層の人間同士の間で発生しやすい。田山と岡ちゃんもなんかズレてしまう。そうした失敗の様子もこの作品の魅力の一つなのだけれど、苦しい。

そもそも、キャラの外形からしてもう隔たりが明らか。田辺は普通の頭身なのに対し、岡ちゃんは低頭身でデフォルメされたような描き方。あともう一人、土屋という男子も出てくるのだけれども、彼も同じ描かれ方。この二人以外は、何か不細工な特徴づけがされていたとしても、あくまで普通の範疇の見た目。でも、この二人は違う。明らかに異質で、他のキャラと並ぶと変。「この2人は明らかに皆とは違う、輪に入れない」と言っているようで、結構エグいビジュアル設定だと思う。

f:id:harubara:20151011012103p:plainf:id:harubara:20151011012121p:plain

奥田亜紀子.ぷらせぼくらぶ.その1「僕の望み」より.:田山と小さな岡ちゃん。/奥山亜紀子.ぷらせぼくらぶ.その3「放課後の友達」より.:小さな土屋と武庫川。岡ちゃんと土屋はギャグ描写等でこういう頭身になっているのではなく、常にこの状態。

岡ちゃんも悪いあたりさらに苦しい

岡ちゃんは、うまく人付き合いができない。気の利いた言葉選びができない。その場その場で相手の気持ちを汲み取った行動もできない。そして、それは時に「不器用」の域を超えて「無神経」として他人に不快感を与える。「周りが岡ちゃんを迫害しているからいけない」という構図ではない。「うまくできない岡ちゃんがいけない」のだ。

岡ちゃんや土屋が人とうまく付き合えない根本の原因には、容姿が良い悪いとか、ノリがいい悪いとか、そうしたロジカルじゃない雰囲気が絶対的な価値を持つ世界の中で、色々な機会から締め出されてきた背景があると思う。これらは「岡ちゃんのせいではない」ことだけれど…悲しいかな、それが今この時点で岡ちゃんが無神経な行動をとったことに対する情状酌量の要素にはならない。岡ちゃんだって、自分の振舞がいけないのはわかっている。でもうまくできない。苦しい…

 隔たりがあっても繋がる瞬間

「摩擦や消耗は、異なる階層の人間同士の間で発生しやすい。」とか暗いことを書いたけれど、生まれるのは負の感情だけではない。嫌になるようなことの方が多くなるかもしれないけれど、そうじゃないことだってある。思わぬ人が声をかけてくれたり、こちらに気づいてくれたり、心を寄せてくれたり。一瞬のことかもしれないけれど、それは何か太陽から強い光を浴びたような、優しくきらめいた瞬間になる。そういう情景がこの作品には描かれている。

 うまくいかない、でも光があたっていた瞬間も確実にあった。そういうきらきらした瞬間を集めて、成長していく。嬉しいような悲しいような、そんなもどかしい青春のお話。

 

 -----

他作品の記事リストはこちら

新たに読んだ漫画買った漫画【2015年9月】

よかった順にざっくり並べて。作品名/読んだ巻数/(レーベル)/作者

 

【完結】

 

【単巻】

 

【続刊アリ】


【雑誌、他】

  • ヒバナ 2015年10/10号

 

【続刊アリ…でもひとまずココまで】

 -----

他作品の記事リストはこちら