漫画のメモ帳

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森山中教習所/真造圭伍(単巻【完結】) 車、友達、夏。完璧な友情のお話。

森山中教習所 (ビッグコミックス)

 一生会えないけれど 大切な友人がいたりする。そういう部分を 表現したかったのかもしれないです。(著者のあとがきより)

ザカザカとした線で描かれた瞳に光のない登場人物たち、なんとなくユルめのテンション。はじめは「単館系のちょっとオシャレな雰囲気邦画みたいだな…」という印象だったけれど、気づけば不思議な教習所で繰り広げられる愉快な日常と近づく別れに心をつかまれている。絵面は派手じゃなくてさらっとしている。なのに最後の見開きでガツンとやられてしまう。驚くほどさわやかで切ない読後感。そしてこのあとがきの言葉をみて、これは熱のある友情漫画だったことに気づく。

無関心な若者ふたりのお話

主人公の清高は、女の子をフリながら「俺、免許ほしいんだ」なんて話をしちゃう。勇気や男気があるとかじゃなくて、バカで物事に無関心なだけ。そんな彼の高校時代の同級生で、誘われるがままなんとなくヤクザになってしまった無口な轟。

この轟が無免許で運転した車に、清高がはねられたところから話は始まる。清高は車にはねられたうえ、事故もみ消しのためトランクに詰められてどこかへ連れていかれてしまう…ふつうビビるものだけど、清高は「慰謝料替わりに廃校になった中学校に構えられた教習所に通わせてやる」といわれて喜んじゃう。それで万事OK、細かいことは気にしない。そして清高をはねた張本人の轟も、ヤクザ組長の運転手になるため同じ教習所に通うことになる。

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真造圭伍.森山中教習所.第1話より. :さらっとした絵の雰囲気。均等な3コマでかるーく流される交通事故。なんかこ無関心な感じがすごく若者っぽい。

主人公は清高なんだけれど、ストーリーの核である友情や別れを作り出しているのは轟。轟は、なんにも考えずにヤクザになってしまった。それで良かった。もともと執着するものは何もなかったから。自分がどうなろうと、他人がどうなろうと全く意に介さない人生。

それが清高と再会し、教習所でわいわい楽しい日々を過ごすうちに、ふと自分が逃げられないところにいることに気づいてしまう。清高にとっての免許取得はそれこそ若者の「自由」そのものだけど、轟にとっての免許取得はますますヤクザの世界にハマる「不自由」を意味する。逃げたいけど逃げられない。だから、轟は覚悟をきめる。

 

今は無関心だけど…あとで思い出す。何回でも思い出す。

一方で清高はそんな轟の事情に何も気づかない。清高は、家のことや自分を気にかけてくれる女の子などなど、おおよそのことに無関心…まぁうるさいことは言わないし、難しいことを考えずに接してくるからこそ、高校時代浮きまくりで現在はヤクザという、ドン引き要素だらけの轟とも普通に関係を築けたのだけれども…

清高が色々なことに「気づく」ようになるのはだいぶ後。数年が経過した最終話。時間を経て、清高は家族を思うようになった、彼女を少し大事にするようになった。そして、友達のことを思うようになった。車は清高をすこし自由にした。そのおかげで清高も少し大人になったのかもしれない。車っていいよね、そういう力があると思う。

そうして清高は教習所の日々を思い出し、そこにいた人々を思う。轟も、ヤクザの運転手をしながらきっと同じことを思ってる。二人とも、生活に車が必要不可欠となった。だから、免許取得の日々の思い出はいつもそばにある。

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真造圭伍.森山中教習所.第7話より. :高速教習、微笑む轟。最後のコマの空のコントラストと、すっきりした車と道路がすごくきれい。好きなシーン。

会話の感じとか、ドライな雰囲気は若い男性作者ならではだと思う。舞台が夏なのも良い。夏、若者、車。友情を語る舞台設定も、アイテムもバッチリ。著者の初めての単行本だけど、「みどりの星」「ぼくらのフンカ祭」等、この後に出た作品にも負けない。読んでよかった。

 

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