漫画のメモ帳

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リトル・フォレスト/五十嵐大介(1~2巻【完結】)

 

リトル・フォレスト(1) (ワイドKC アフタヌーン)

いちこという20代くらいの女性が主人公。田舎における半自給自足の食生活について、栽培・採集から、調理、食事まで丁寧に描いた漫画。主人公の過去や、心境の変化なども描かれているけど、なにか劇的なストーリー展開があるわけではない。ひとつの食材や料理をテーマに、それを食べるまでの過程を1話完結で描いた作品。

 

丁寧な観察、丁寧な積み重ね

 主人公が能動的にあちこち動いてストーリーを大きく動かす漫画も好きだけれど、このリトル・フォレストのように、じっとひとつの対象・ひとつの作業を丁寧にみつめて積み重ねてゆく漫画もとても面白い。自分がその題材と密に接しているような気分になるし、知識が増えていく気持ちよさがあり、自分でも実際に体験したくもなる。

こうした丁寧な観察の描写や、過不足のない手順の説明は、整っていてとても綺麗で、何度でも、いつまでも眺めていたくなる。伝統工芸職人の作業過程や、巨大工場での精緻な生産風景などを見てお見事!と関心するのと似た感覚だと思う。

くわえて、食がテーマの作品は「おいしそう」という欲求もひっぱり出してくる。好きな食べ物には何度でも「おいしそう」と感じて飛びつくのと同じように、この漫画に描かれている食の様子には、その丁寧で鮮やかな描写と、「おいしそう」の気持ちから何度でも飽きることなく繰り返し読むことができてしまう。

 

それにしても絵がうまい

五十嵐大介は絵が本当にうまいと思う。

よくよく見れば、たまに線はガサガサとスケッチのようであったり、人の顔なども簡略化されて歪んでいたりするときがあるものだが、そうしたラフな線がしっかりものの形やその場の空気をとらえている。見た世界、体感じた世界を正確に絵におこすのが本当に上手いのだと思う。

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五十嵐大介.リトル・フォレスト.1巻 p.15 より:庭のハーブでウスターソースを作る様子。一つ一つ、一コマ一コマ丁寧な手順の紹介。

いちこのストーリーは…どうなんだろう

この漫画の柱は上記のような食についての描写だが、主人公・いちこの人生についてもストーリーが展開されている。いちこは小森で生まれ、中学生ぐらいで母が出て行き、その後自分も村を後にした。でも、出てった先で人と向き合えなくて帰ってきた。そんな背景のあるいちこは、農業・家事の合間あいまにふと母のことを考えたり、自分の在り方について思ったりする。

しかしどうしてか、そうしたいちこのストーリーに何かを感じることはあまり無かった。言ってしまえばいちこの食生活や田舎というフィールドにはすごく興味が持てたけど、いちこそのものにはほとんど興味を持てない。

他の作品でもそうなのだけれど、この作者の描く人間に親しみをもったり、強い思い入れを持ったりしたことがない。「あのキャラが特に好き」「死んじゃって本当に凹む」「あいつは嫌い」こういった類の思いを、五十嵐の漫画を読んでいてを抱いた記憶がほとんど無い。

おそらくだけれど、作者は登場人物の感情や、幸・不幸、生き死に等で、読者に何か強い感動を与えたり、親しみを持たせたりしようという気があまり無いのでは。世界と、登場人物がその世界にどう関与するか。その部分だけを完璧に描いているし、だからこそ食や自然の風景の描写に注力出来るのだと思う。

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五十嵐大介.リトル・フォレスト.2巻 p.145 より:風景もすごく綺麗。山とかよーく見るとザカザカ線を走らせているだけのようにも見えるのに、木々の密度が感じられる…と思う。絵の魅力も半端ない作品。

だから、最終話には少々の違和感があるけれど

一話一話、必ずメインの食材を設けて描いていたのに、最終回はそれがない。「いちこが成長し、これからどう生きようとするかの答えを出した」みたいなことがメインに置かれている。話としてはなんとなくまとまった風にはなっているけれど、最後の最後にそこだけクローズアップされたことへの違和感がある。いちこ本人に興味が持てない分、なおさらそれは大きい。どうせなら、最後も食でおとしてほしかったなぁと思う。

とはいえ、やはりこの漫画は文句なく面白いし、決してそれまでの積み重ねがこの最終回で台無しになったということもない。(そもそも、食や生活という、いつまでも続いていくものを描いた作品を描いているのだから、綺麗に落ちなくても問題はないのかもしれない。)

自分の中の食欲が尽きない限り、何度でも読むことができる作品だと思う。

 

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